11月25日(日)礼拝メッセージ要旨
「御霊によって歩む」 ガラテヤ人への手紙5章16〜24節
神の民である私たちの生き方において本当に大切なことは、その人の人生がどのようなものによって満たされているのか、ということだと思います。罪赦されて救われた私たちの歩みは御霊に従うことによって歩むべきであるし、その歩みを神様は喜ばれると思います。ですから新しい命が与えられた後、私たちがどのよう生き方をしているのか、ということはクリスチャンにとって非常に重要なことです。本文のみことばを通してパウロは肉による歩みと御霊による歩み、そして肉の行いと御霊の実について語ります。それでは肉の願いとはなんでしょうか。そして救われて新たにされた私たちの人生は何によって満たされるべきでしょうか。
パウロは肉の行いについて19節〜21節において、色々な現象をもって説明しています。そこに並べられている行いは肉の欲望や肉の願いに従った者に現れる姿なのです。ですから、その人の生き方に現れる行いを通して、その人が肉の欲望に従っているかどうかがわかります。本文の21節の後半には「こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。」と語られています。それは肉の行いを行い続けている人々が、神の国を相続することはない、ということです。ですから、私たちが私たちの生き方に肉の行いがあるかないか、ということを深く考えて見なければなりません。そこでもし肉の行いがあるならば、それを悔い改めなければなりません。
それでは私たちがクリスチャンとして私たちの生き方に満たさなければならないものは何でしょうか。それは御霊によって歩むことです。そして御霊によって歩むことによって、私たちの信仰の歩みにおいても御霊の実が結ばれるようになります。今までの私たちの人生は何によって満たされているのでしょうか。肉の行いではなく御霊の実によって満たされるものになりたいと思います。そのために御霊によって、御霊に従って歩み、神様からの教えを実践して行く者になりたちと思います。