礼拝メッセージ

11月24日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「今、すべき大事なこと」          ルカの福音書12章16~21節

「あんぱんまん」の作者、やなせたかし氏が10月に死去されました。やけこげだらけのボロボロの、こげ茶色のマントを着て登場する「あんぱんまん」は自分を食べさせることで飢える人を救うヒーローです。この「あんぱんまん」の誕生には、やなせたかし氏の戦争体験があります。「戦争では、重労働や辛い訓練には耐えられる。耐えられないのは何かというと、食べるものがないということだったのです。それ以外の大抵のことは我慢できるのだけれど、一番辛いのは食べる事ができない、飢えるということだったんです。」と著書の中でこのように戦争体験を語っています。ルカ12章に登場する金持ちの農夫は、人間の生死を決定づける飢えに対して、万全の備えをし、「さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ」と自らに語りかけます。しかしその彼を神は、「愚か者」呼びました。彼が自分の「いのち」について誤った考えを持っていたからです。彼の考えていた「いのち」は、この世の死で終わるという、時間に限定された「いのち」でした。しかし聖書は「いのち」について、もう一つの「いのち」の存在を語っています。それは「永遠のいのち」です。今神は彼に「おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」(ルカ12:20)と、問いかけられます。この二つのいのちの問題から、二種類の生きがいが生じます。期限付きの生きがいと無限の死をも超える生きがいです。私たちは年を取るにつれて、将来の可能性は少なくなり、夢は消えていくのです。そして期限付きの生きがいは、時間と共に弱まっていき、そしていつか死を迎える時にゼロになるのです。ですから神は言われます。「神の前に富まない者は、このとおりです。」と。自分の用意したものの中には「いのち」の解決はなく、神が与えて下さる「永遠のいのち」を持つとき、死というものは、完全に幸せになれるための唯一のドアとなり、死は生きることの「終点」ではなく、すでに与えられた「永遠のいのち」への最高にうれしい「乗り換え駅」であったのです。


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