11月22日(日) 礼拝メッセージ要旨
「互いに赦し合う」 エペソ人への手紙4章30-32節
本日の本文は、4章の後半から説明して来た古い人を脱ぎ捨てたことと新しい人を身に着たことについての結論の部分です。そのような結論の部分において、この30節は前から説明して来た内容についての要約であって、前のことろで説明した実践的な勧めを決して忘れてはならない、ということをもう一度強調して説明しています。
先ず、30節には「神の聖霊を悲しませてはいけません。」と書かれています。聖霊は信仰者の内にお住まいになるお方です。その聖霊を悲しませるというのは、どういうことでしょうか。または、人間のどういうことが聖霊を悲しませることになるのでしょうか。それは直接的には、25節以降で説明して来た古い人の姿を捨てることが出来ず、そのまま行なっている、それが聖霊を悲しませることになるのです。25節以降で勧めて来たことは、一般的な道徳・倫理からでも、してはならないことです。しかしそういう観点からではありません。クリスチャンである私たちがより大切に思い、覚えなければならないことは、そのような行ないが聖霊を悲しませることだということです。ですから、いつも聖霊のことを覚えて行ない、神様に喜ばれる者となりたいと思います。
そしてその古い人の行ないの根底にあるのが31節に書かれている「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなど」であって、それを「いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。」と教えています。そして私たちは「お互いに親切にし、心の優しい人となり、互いに赦し合う」ことを通して、そのようないっさいの悪意を捨て去ることができるでしょう。それも、また神様がキリストにおいて私たちを赦して下さったゆえにできることなのです。
ですから、神様の赦しの恵みと愛を覚えて、私たちも互いに親切にし、互いに赦し合わなければなりません。これは片方だけがそうするのではなく、私たちすべてが、互いに赦し合わなければならないのです。神様がキリストを通して、私たちに見せて下さった恵みと愛を覚えて、親切で優しい心を持って、互いに赦し合うものになりたいと思います。