10月30日(日) 礼拝メッゼージ要旨
「起きなさい」 ルカの福音書8章49-56節
本日の本文に出て来るヤイロという人物は会堂管理者であって、社会的に尊敬されていた人でした。そんな彼に、ある日、絶望の影が襲って来ました。それは12歳ぐらいのひとり娘が死にかけていることでした。何よりも大切で、誰よりも愛しているひとり娘が生死の境をさまよっていたのです。会堂管理者のヤイロはひとり娘を助けて頂くためにイエス様のところに来ました。ルカ8:41には「彼はイエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。」と記されています。
そこにはカペナウムの多くの人々が集まっていました。そういう状況の中で、イエス様の足元にひれ伏し、自分の家に来て頂いて死にかけている娘を助けて下さい、と切に願ったのです。彼のこのような姿は、自分の社会的な地位を捨ててのことだったと思います。愛するひとり娘が死にかけている切実な状況の中で、ヤイロにとってそれより大切な事はありませんでした。彼は社会的地位や面目のすべてを後にして、イエス様の足元にひれ伏したのです。
本文のヤイロのように、私たちも人生を生きて行くときに色々な大変な状況に置かれる場合があります。誰にも解決してもらえない問題を抱えて悩み悲しむときがあります。そのようなときに、私たちは誰に出て行き、助けを求めば良いのでしょうか。その苦しみの中で私たちが出て行くところ、助けと求めるお方はイエス・キリストです。この後、ヤイロの娘は亡くなり、ヤイロは全ての希望を失ってしまいます。死の前で人間に出来ることは何もありません。絶望だけです。しかし、イエス様はその娘の手を取って下さり「子どもよ。起きなさい」と言って下さいます。すると、娘はたちまち起きあがり生き返ったのです。そのときに悲しみは驚きに、絶望は喜びに変わったのです。今日も絶望の中で恐れおののいている私たちに「起きなさい」と語りかけて下さるイエス様の御声を心に覚えて、希望と喜びの道を歩んで行きたいと思います。