10月28日(日)礼拝メッセージ要旨 マイケル・カーター宣教師
「主は私の受ける分」 詩篇119篇57-64
神様は罪の赦しや永遠の命などの驚くべき祝福が私たちに与えてくださりましたが、神様からの最大の贈り物、また私たちの真の受ける分は、神様ご自身です。神様ご自身は私の受ける分は「私たちの真の満足と喜びを神様だけに見つけることができるという意味があります。また、天国で神様と完全で個人的な関係を喜ぶことができるという意味です。私たちは、しばしば神様が与える祝福と私たちの部分(神様ご自身)を混同します。私たちが相続するもの、または神様からの贈り物を世俗的な祝福と混同すると、私たちの幸せは、変化する周りの状況によって簡単に絶望に変わることがあります。ですので、神様のみが私の受ける分という事実によって生きることが重要なのです。しかし、神様のみが私の受ける分という事実によって生きるとはどういうことなのでしょうか? 詩篇119篇57-64節でダビデは神様のみが私の受ける分という事実によって生きるとはどういうことかを説明しています。そこには、喜びと満足感が神様のみにある人が神様の律法を愛し、神様の律法を守り、そして神様の律法を知っている姿があります。