10月26日(日) 礼拝メッセージ要旨
「見つけるまで探す神」 ルカの福音書 15章3節-7節
ルカの福音書15章には、三つのたとえ話が記されています。それはなくした羊のたとえ話、なくした銀貨のたとえ話、そしていなくなった息子、放蕩息子のたとえ話です。この三つのたとえ話には、いくつかの共通点があります。それはなくしたものが価値あるものであり、持ち主の努力で見つけたことであり、最後は見つけた時に近所の人々と共に非常に喜んだという事です。
今日の本文は、なくした羊のたとえ話があります。イエス様は、このたとえ話を通して、パリサイ人と律法学者たちに「収税人と罪人」がどれほど大事な存在であるのかを説明してくださいます。
その内容を見ますと、羊を100匹持っているある人がいました。ところが、その100匹の中で1匹をなくしました。そうしたらその持ち主は99匹を野原に残しておいて、なくなった羊を見つけに行きます。その持ち主は、その1匹を見つけるまで必死に捜し歩きました。やっと羊を見つけた持ち主は大喜びながら、羊をかついで帰って来ました。そして友たちと近所の人々を呼び集めて、大いに喜んだという内容です。
このたとえ話を通して私たちは、私たちの牧者であられるイエス様の大きな愛を知ることが出来ます。なくなった羊を決してあきらめないで、見つける時まで捜し歩き回る牧者の姿から大きな愛を感じることが出来るのです。
そして羊は遠くまで見ることが出来ないのだそうです。それ故、道を迷いやすいです。道を迷わないためには、いつも羊飼いの声が聞こえる範囲の中にいなければならないのです。そして必ず羊飼いの保護が必要です。
私たちは、皆、羊のように弱い人々です。その弱さによって道を迷わないためには、牧者のみ声をよく聞いてついて行かなければなりません。収税人と罪人たちがイエス様のはなしを聞こうとしてそのみもとに近寄って来たように、そして羊が自分の羊飼いの声を聞いてついて行くように、いつも神様のみことばを聞くことを大切にしたいと思います。神様のみ声をよく聞いて、そのみことばに従い、神様のみこころにかなう者になるようにと願います。