10月15日(日) 礼拝メッセージ要旨
「恐れるな」 列王記第二 6章15-23節
本日の本文は、イスラエルとアラムが戦っていた時の内容です。アラムの王はイスラエルを攻めて行きますが、度々にその計画が失敗しました。それで自分の家来の中にイスラエルの王と通じているものがいるのか疑い始めました。しかしそれは預言者エリシャによることであって、神様からの不思議な力でアラムの王が計画することを知り、それをイスラエルの王に報告したのでアラムの王の計画は何回も失敗していたのです。それでアラムの王はそのエリシャを捕えようとしてエリシャがいたドタンといる町に大軍を送り、その町を取り囲んでいたのです。
そんな中でエリシャの召使いが朝早く起きてその状況を見ました。前日まで何もなかったのに、何時も間にかアラムの大軍が自分たちの町を包囲している姿を見て驚き、エリシャにその状況を伝えました。恐らく召使いは大変驚き、恐れてエリシャの方に行ったと思います。ところが、恐れている召使いに対してエリシャは「恐れるな」と言います。そして「私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者より多いのだから」と説明しました。召使いが見た時は、自分たちの町を取り囲んでいるアラムの大軍しかありませんでした。そうなのにエリシャが召使いに語ったのは如何ことでしょうか。
そこでエリシャは神様に「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」と祈りました。すると、その召使いの目が開かれ、なんと火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた姿を見ることが出来るようなったのです。本文に出て来るエリシャと召使いは同じ状況に置かれていました。しかし、同じ状況に置かれているとしても、何をどう見るのかによってその反応は全く違うものであったのです。同じ現実を見てもその背後で働いておられる神様、守り導いて下さる神様のことを見れるのかそうではないのかと言うのは、全く違うものなのです。私たちの目には、何が先に見えるのでしょうか。私たちの目も神様によって開かれ、神様の守りと導きを見ることが出来てどんな状況の中でも神様を見上げて歩んで行きたいと思います。