1月8日(日) 礼拝メッセージ要旨
「キリストは私たちの内に」 マタイの福音書2章9~12節
教会暦によりますと1月6日は「公現日」「顕現日」と呼ばれる祝日です。待降節、降誕と続くクリスマスの最後にくる祝日です。ギリシャ語で「エピファニー」と呼ばれ、「突然見えてくる」「姿を現す」「出現する」という意味です。初代教会にとっては、キリストの死と復活がキリストの誕生よりもはるかに大きな関心事でしたが、4世紀初頭東方教会において、キリストの到来(公現)を記念する祝日を1月6日と定め、キリストの降誕も1月5日から6日にかけての夜に祝うようになりました。それは、聖書のクリスマス物語の中で、異教徒であった東方の博士達が、世界の救い主の誕生を尋ねてベツレヘムに到着し、そしてついに幼子イエスに会うという、マタイの福音書2章1節から12節が主題となって祝日を守ることになりました。東方の博士達は星を占う学者達でしたが、「天文学者」「占い師」のような存在でもありました。彼らが幼子キリストに贈り物として捧げた「黄金、乳香、没薬」というのは、彼らがそうした仕事をする上で用いた道具だったというのです。そうだとすれば、これまでの人生に於いて、自分たちの生活の支えになっていた大切なものを、キリストのもとに献げたということであり、それは彼らの旅が単なる救い主の見物のためではなく、これまでの彼らの生き方を終える旅だったのです。その意味で東方の博士達は、私たちの代表として幼子キリストに送られた特使だったのです。「公現(エピファニー)」は、神の栄光が人となってこの世に現されたことに、私たちの目を向けさせるだけでなく、私たちがどのような者であるかを知ることに導いていきます。キリストは今、幼子キリストとして私たちの内に生れて下さった。イエスは「ガリラヤ地方に立ちのいた。そして、ナザレという町に行って住んだ。」(マタイ2:22~23)「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」(ルカ2:52)と聖書は記します。そのイエスにとって、私たちがキリストの住まいナザレなのです。今私たちがイエスの故郷なのです。そして私たちの内で、この幼子イエスは強く、ますます成長していくのです。その力、その喜びを受け取る日が「公現日」なのです。この祝日を星を見つめながら導かれて、夜の旅路を進んでいく東方の博士達の姿を思い浮かべつつ、「公現日」を守るということは、私たちがこれまでの自分自身の生き方を見直し、新たな生き方へ踏み出すことにあることを思い起こしましょう。