1月31日(日) 礼拝メッセージ要旨
「光に照らされて」 エペソ人への手紙5章11-14節
本日の聖書では光の子どもとしてのクリスチャンの役割について教えています。以前5章8-10節では、暗やみから主にあって光の子どもとなったクリスチャンがどのように行なうべきであるかについて学びました。それは光の子どもらしく歩み、そのために主の喜ばれることが何かを見分けて従いなさいということでした。その後、パウロは光の子どもとなったクリスチャンが周りの人々に対してどのような姿を取るべきであるかについて教えます。それは、クリスチャンとして生きているところは救われる前と同じくこの世の中であるからです。ですから、私たちは光の子どもとして信じない人々に対してどのような態度を見せるべきであるか、そしてその関係はどういうものであるかについて説明しているのです。
先ず、光の子どもらしくその光を隠したりすることではなく輝かしく照らして、光としての役割を十分に果たしなさいと勧めます。たとえどんなに小さい光であっても、たとえすぐに消えてしまいそうな光であっても、この世の暗やみの中にいる人々にあなたがたの光を照らしなさいということです。何故ならそれによって、その暗やみが明るみに出るからです。そのようにクリスチャンが光の子どもらしく行なうことによって、その暗やみが光に照らされて、それがみな明らかにされるのです。暗やみの中では何が正しいのかということさえも分かりません。そんな暗やみに光が照らされれば、その光によって暗やみの実体が明らかになるのです。神様は私たちを光の子どもとしてくださり、暗やみの世の中でその光を放つようにしてくださって、私たちを通して神様の恵みと愛をこの世に広げてくださるのです。
ですから私たちは、もう一度、それぞれの生き方が光の子どもとして歩んでいるか、そして光の実を結んでいるかを振り替えて見なければなりません。神様は暗やみであった私たちを光の子どもとしてくださいました。真の光であられるイエス様に照らされてその光を照らす者となりたいと思います。