1月29日(日) 礼拝メッセージ要旨 青木稔牧師
「心の目で見る、神の望み・栄光・力」 エペソ人への手紙1章15節~23節
2012年がスタートして、一か月近くが過ぎようとしていますが、毎日、寒い日が続いています。くれぐれもお身体に気を付けてお過ごし下さい。先週は、年賀状の当選番号が新聞に発表されましたが、皆さんはいかがだったでしょうか。その年賀状のやりとりの中で、神学校時代の友人たちから、それぞれが教会で奉仕したり、キリスト教関係の出版社やキングス・ガーデンで働いている様子を知り、喜びばかりではなく試練の中を通らされている友人たちのために祈らされることもありました。昨年は東日本大震災が起こり、子どもの将来を考えて引越しをしたという報告もありました。また、結婚したり、子どもが生まれたりと、うれしい報告も写真と一緒に送られてきた年賀状もありました。また、日本だけでなく海外からも、信仰の友人たちから、私たち家族のことや教会のために祈っていて下さっていることを知り、本当に嬉しく思いました。祈られている幸いと、祈れる幸いを主に感謝しました。 今日の聖書箇所を見ますと、パウロも同じようなことを感謝しています。彼は、エペソにある教会の人たちの信仰と愛の姿を聞いて感謝と祈りを捧げています。彼らのキリストに対する信頼と、クリスチャン同士の愛の交わりを耳にしたからです。このようなうわさを聞くことができる教会やクリスチャンは幸いだと思います。さて、私たちの教会は、どんなうわさがささやかれているのでしょうか。 パウロは、そのエペソにある教会のために「さらに深く神様を知ることができるように」と祈っています。更には、心の目がはっきりと見えるようにと続いています。さて、心の目が開かれて、何を見るようにとパウロは祈っているのでしょうか。それは、「神の望み・栄光・力」です。私たちが、この神の素晴らしさを見て、味わいながら、信仰生活を歩んでいくことこそ、祝福された信仰生活なのです。 パウロは「信じる者に働く神の偉大な力を知ることができるように」と祈っていますが、教会こそ、まさしく「神の望み、栄光・力」を見て味わうことができる場所です。教会とは、一切の権威を持っておられるキリストが、かしらとしておられる場所だからです。 私たちは、教会のかしらである、キリストにあって期待して信仰生活を歩んでいくことが出来るのです。ご一緒に心の目で「神の望み、栄光・力」を見ていきましょう。