礼拝メッセージ

1月26日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「悔い改めの実」               ルカの福音書13章6~9節

来年は 伐ると決めし木 帰り花  「帰り花」とは冬の季語で、時期はずれの花のことです。咲き残りの花が開花する場合と、春に咲くべき花が開花する場合とがあります。伐られるとわかっている運命で、せめて最後の花を咲かせて終わりたい、あるいはまだまだ花を咲かせる命はある。出来ることなら残してほしいと願って、一輪咲かせたのか、読み手の受け取る心によって、正反対の意味になります。しかし主イエスが語られた、たとえ話に登場するいちじくの木は、一年後に伐り倒されると決まっているのに、その木が実を結んだか、そうでなかったのか全く明らかにされないまま終わっております。最後の結末が何一つ書かれていないのです。何故なのでしょうか。一般にたとえ話には「だから」というまとめや、適用を示す言葉があるのですが、このたとえ話にはそれがないのです。従ってそのことは、このたとえ話の中心点が結果に置かれているのではなく、番人の言葉そのものにあることを示しています。もう一年悔い改めの時を延期してほしいと願う、番人の言葉とその存在に驚きの目をもって注目することが求められています。そして実を結ばない、いちじくの木に対して、特別な手立てを尽くす番人の姿に、明らかに主イエスの姿が見えてきます。神は主イエスを通して、すでに定められた裁きを覆し、もういちど悔い改めの機会をお与えくださいました。そのために考えられないほどの憐れみの手立てを尽くそうとしておられる方だということが見えてきます。主イエスがしようとされていることは、そのような悔い改めへの招き、異常といえるほどの愛の招きだったのです。そしてこのたとえ話の結論は、私たちの手に委ねられており、私たちが自らの責任において、実を結んだのか、やはり伐り倒され悲惨な裁きを受けたのか、この結末を書き記さなければならないのです。

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