1月22日(日) 礼拝メッゼージ要旨
「ようやく悟る」 マタイの福音書16章1-12節
本日の本文は、「パリサイ人やサドカイ人たち」がイエス様のところに来て、天からのしるしを見せて下さいと頼んだことが書かれています。ところがこのような内容は、本日の本文が初めてではありません。すでにマタイの福音書12章後半で「律法学者、パリサイ人たち」がイエス様にしるしを見せてくださいと求めた事がありました。その時から半年から1年位の時間が立ち、その間もイエス様は色々なところでメシヤであるしるしの奇跡を行なわれました。そうであるにも関わらず、パリサイ人やサドカイ人たちは、信じることができずイエス様をためそうとして同じこと求めているのです。
私たちは神様のみことばをいつも謙遜なこころで聞き従っているのでしょうか。本当に神様が示して下さったみことばをそのまま信頼し受け入れているのでしょうか。神様のみことばであり教えである聖書に教えられている神様を神様として信じ従っているのでしょうか。それとも聖書に示されていることよりも、他の奇跡が起こることを求めて、それが起こるとより熱心に信じると思ってはいないでしょうか。本日の本文に出て来るパリサイ人やサドカイ人、或いは弟子たちの姿を通して神様を神様として、キリストをキリストとして信じているかどうかが私たちにも問われていると思います。
私たちの信仰の歩み中には、神様が私たちに与えてくださった恵みと愛を、時間が経つことによって、または状況によって忘れてしまい覚えていなくて不安になり心配することもあるでしょうか。そんな信仰の薄い私たちに、そんな弱い私たちにイエス様は今日も語りかけてくださり、正しい道を教えてくださいます。そしてそれによって私たちがどんなに薄くて弱い信仰をもっているとしても、イエス様の教えをようやく悟り、神様に喜ばれる道を歩んで行くことが出来るのです。私たちをいつも教え導いてくださるイエス様を覚えて、そのお方と共に歩んで行きたいと思います。