1月15日(日) 礼拝メッゼージ要旨
「四千の給食」 マタイの福音書15章32‐39節
本日の本文の内容は「五千人の給食」と非常に似ています。そしてその奇跡はマタイの福音書14章に記されていて、少し前に取り扱った内容です。14章には「五千人の給食」そして15章には「四千人の給食」という、同じような出来事を、著者マタイは何故このような書き方としているのでしょうか。へんぴな所で大勢の人々を満腹させたという奇跡を通して、イエス様の素晴らしい力を表わしたかったなら一つの出来事で、それも人々がより多く集まっていた「五千人の給食」だけでも十分だったと思います。ところが、マタイは同じような出来事を、それもすぐ次の章で紹介しているのでしょか。
特に本文の33節に書かれている弟子たちの反応は、全く初めてのような姿のように見えます。少し前に五つのパンと二匹の魚という少ない食べ物で男だけで五千人の人々が満腹するまで食べて、残ったパン切れが12かごもあったという大奇跡を経験したならば、あり得ない反応なのです。そういう疑問から一部の学者たちは、マタイが一つの出来事を重複して記録したと説明したりします。しかし二つの奇跡はその内容、行なわれた場所や時期などを良く見て見ますと、異なる出来事であることが分かります。そして何と言っても、16章9-10節でイエス様ご自身が二つの出来事がそれぞれ行なわれたものであることを仰っています。
それでは、何故弟子たちは初めてのような反応を見せたのでしょうか。それに対して一つ目には、16章でイエス様が仰ったように覚えていなかった、と説明出来ます。そしてもう一つは、今回の集まっていた人々は異邦人であったので、ユダヤ人と同じような奇跡が起こるとは考えられなかったということです。そこには弟子たちの霊的な盲目と弱さや異邦人に対する冷たい心があるのです。ところが、限りない愛と憐れみをもっておられるイエス様は、ユダヤ人にも異邦人にも同じ奇跡を行なって下さいました。また、そんな弟子たちであるとしても、変わりなく彼らを用いて下さったのです。そういう限りない愛と恵みをもって私たちに注いで下さり、用いて下さるイエス様を覚えて歩んで行きたいと思います。