礼拝メッセージ

1月13日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「収穫の主に遣わされて」          ルカの福音書10章1~16節

今、日本の教会は危機的状況にあります。特に地方、過疎市町村における無牧教会の増加と教会閉鎖が起こっているのです。その現象は都市の教会にも見られるようになりました。さらに教会に赴任した若い教職者が辞任する事例が多くみられ、無任所牧師の増加があります。このような日本の教会の現状に、主イエスの「実りは多いが、働き手が少ない。だから収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(ルカ10:2)という言葉が、重く響いてきます。主は収穫は多いと言われました。しかし私たちは反対に考えていないでしょうか。「主よ収穫は少ないのです。」と。ここで主が福音の伝道を収穫にたとえておられるのは、自然の実りがそうであるように、人間が実りを生み出すのではなく、収穫の主が作り出してくださるのです。私たちは、その用意された実りを刈り取るだけでよいのです。主イエスは、いずれの町や村にも悩める人、苦しむ人が多くいる。主はそれを収穫だと言われるのです。私たちは教会が活発に活動しているのを収穫と考えているのではないでしょうか。弟子たちはそれほど実っていない畑を見て、収穫はまだまだ先の事だと言いましたが、主イエスの目には、それが収穫でした。(ヨハネ4:35)弱り果てている人、苦しんでいる人、悲しんでいる人、そのような人は、すべて主イエスのあわれみを必要としています。そのような姿、その現実を主イエスは「収穫」と見ておられるのです。けれども私たちは言います。「主よ、これこれを整えてから。」「これが足りません。」「まだ十分体制が整っておりません。」と。しかし収穫の主は言われます。「行きなさい。何も持たずに行きなさい。」(ルカ10:3~4)収穫は主ご自身が備えてくださるのです。もしこれを整えてからと言うなら、いつ私たちは行くことができるでしょうか。「行け」という命令だけでよいのです。主はすべて整えてくださるのです。「主の山に備えあり。」(創世記22:14)です。今は働く人が少ないのです。その働き人さえ収穫の主が送り出してくださるのですから、その主に祈り求めましょう。

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