5月8日(日) 礼拝メッセージ要旨
「母になること、母であること」 サムエル記第一1章1~28節
母になることは主の祝福です。しかし母であることはたいへんです。母になるために思いも心も深い苦悩の中に置かれ、母になって、つらさ、寂しさを味わったのがハンナでありました。ハンナの不幸の始まりは「主が彼女の胎を閉じておられた」(サムエル第一1:5)ことにありました。そのために「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。」(サムエル第一1:10)のです。彼女は「このはしために男の子を授けてくださいますなら」(サムエル第一1:11)と祈りました。ハンナを祈りに駆り立てたものは、ペニンナとのいさかいから抜け出したい。子供さえ与えられれば、自分の恥はぬぐわれ、すべてが解決されるとの思いでありました。その彼女をハンナが主の前に自分の問題を置いた時、主は子供の問題で彼女が正しく考えることが出来るように導かれたのです。子供は親の所有物ではなく、子供は神の賜物として与えられるという意識から、神のもとにある子供の生き方が最善であるという考えに至ります。「私はその子の一生を主におささげします。」(サムエル第一1:11)という主に対する決意が信仰の確信に導かれた時、「彼女の顔はもはや以前のようではなかった。」(サムエル第一1:18)のです。神はハンナに心を留められ彼女は男の子を産みました。そして「私がこの子を主に願った」(サムエル第一1:20)結果、神が与えて下さった子供であるから、その名前をサムエル(神の名はエル)と呼びました。それは彼女が祈った神の力を指したものでありました。 また、ハンナは母であるがゆえに、つらさ、寂しさを味わった女性でもありました。サムエルが乳離れした時、おそらく生後2年か3年ぐらいと考えられますが、祭司エリの所に連れて行き、神に捧げました。幼い子がこの時期に母親から離れて暮らすのは、とても寂しくつらいことです。勿論母にとってはなおさらのことであります。この時期の子供の発達段階、自我形成の過程で母親の果たす役割の大きさを考えると、子供を手放すということは、非常な覚悟がいったと思います。ましてやハンナにとって、たった一人の子供を手離すことは、すべてを失うことで、ハンナには何も残らないのではと私たちは考えてしまうのですが、しかしハンナには神への真の信頼に生きる確かな信仰が残っていたのです。ハンナをここまで導いて下さった神こそほめたたえられる方ではないでしょうか。「こうして彼らはそこで主を礼拝した。」(サムエル第一1:28)サムエル記1章はこのことばで結ばれております。